筒か開か 物見
Attention!
偏見、屁理屈その他諸々の固定観念でできています。
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それではどうぞ。
見えないものを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ!
見えないものって何ですか!
何かわかっているなら望遠鏡で見る必要はあるんですか?
見えないものを見ようとするために目を近づけて。
見えないものを見つけるために近くのものに目を向けずに遠くの答えだけ見つける。
そのために途中式、過程、プロセスをぶっ飛ばして。
その先に見える答えがわかるんですかと。本当に正しいんですかと。
逆算ができてこそ真に答えではないのかと。
というわけで今回のひねくれ理論は。
ものを見るときの見方的なものについてお話しますぜ!
冒頭に言ったことから触れていきたいなと思います。
答えを見るために直線で周りを遮断してある程度の情報量を確認しつつ、ある程度の正確性を得て答えを見つける方法。
望遠鏡。いわば筒みたいなものでものを見たときの感じですかね。
この見方のほうが効率ええやん。そんなすべての情報を拾って答えを導き出すとか不可能やん。っていうと思うんですよ。
そりゃそうですよ。無理です。そんなことできたらすげえよ。
ここから安定安心いつもの人の関係について入ります。
人を知るうえで最初から開示される情報量は限られていると思いません?
例えば、名前、性別、趣味、勤め先、学校とか。
この際は、情報量は限られているため、筒で見ても特に問題はないんです。
でも人って知れば知るほどより多くのことを知れると思うんです。より深い内容。親密な人にしか話したことのないこと、あるいは誰にも話したことのないこと。
または人の性格。って言ったところですかね。
そうなったら人にはいいとこ、悪いとこが出てくる。それを見る。
見たときに筒の見方をしても、開の見方をしても多分いろんな答えが出ると思う。
まあその答えを好きか嫌いかの二択に絞ります。
筒の見方。情報量をある程度絞って見る。多分このタイプの人間は人づきあいがうまいと思うんですよ。あいつは良いところもあるが、自分にとって嫌いな面もある。けど、時々。sometimes。良いところを絞って見れば好きな奴。そこだけ筒で絞って人を見れば。
で、二つ目に開の見方なんですよ。良いところ悪いところ両方見て。すべてを見た結果その人に対して、好き嫌いを判断する。ここまでは筒と一緒なんですよ。
要はここからで。
開の見方の利点は悪いとこも含め好きか嫌いか判断することなんですよ。
筒でもやってるやん。って思う方。いると思います。わかります。
だがしかし。情報を絞ったうえで嫌いを判断され、筒の中から追い出された嫌いの成分は、そこから派生することがないと思います。見えないようにしたんですから。あるいは見ないようにしているんでから。
で開の見方の利点。
好きな面も嫌いな面も知ったうえで。嫌いな面をこいつらしさ、言い方を変えれば個性。と考えて見る。
そこからだと、多分嫌いから好きが派生できると思うんですよ。どこかで噛み合ってよくなる可能性もゼロってないと思います。自分がその人のある部分が嫌いとして、その嫌いの部分が相手の人によって変わるかもしれない。または自分が変わることがあることによって、その嫌いな部分が好き、あるいは許容できるようになるかもしれません。
開の見方による嫌いはその人に対する深みを増す可能性があるのではないかと思います。これも結果論ですけど。もしかしたらうまいこといかずにずっと嫌いなままかもしれない。
まあどうであれ、嫌いを排除して見る、限りをつけてずっとそのまま見るのはいかがなものかと思います。
自分自身も筒の見方をしていると思うんですが、できる限り開の見方をしたい。
じゃないとワイみたいな人間は誰にも相手されなくなっちゃうめう。。。。(辛い)
というわけでして、筒と開でした。
最後まで見てくれたあなたは凄い!えらい!
ありがとうございました。